そうして、余月は考えうる限りの言葉を尽くして博士達を説得しようとしたのだ。
だが、完全な理解を得る事は出来なかった。
博士達としては「上」から援助が出ていると言う事もあって、どうにか実用化をしたいのだ。
視覚異常が起きるので在ればその原因を突き止めて要因を排除すればいい、その上で実用化出来れば
例えいくぶんか機能は落ちても面目は保たれる。
故に実験は続ける。
どう説得しても「実験を中止すべきだ」という余月の言葉は受け入れられなかった。
そして、実験は続けられ、幾度も失敗を重ねる事になる。どうしても、視覚異常は排除できなかったのだ。
そして、ついに研究は中止された。
余月は自らの考えにほぼ確証をえる事となる。
余月の導き出していた仮説はこうである。
本来の、生物の姿、と言うより人間の姿という物は装置を付けた際に見る事の出来るあの、グロテスクな物では
ないのか?と。古来より、人の姿として信じ、描き続けられてきた人間像、と言う物が虚構であったのではないかと。
装置を付けた際に見える人の姿は目が二つ、鼻、口が一つという大まかな特徴以外は造形、色調配置など全てが
人間の造形という一般概念から大きく外れた物であった。それは、どんな想像上の生き物よりも醜悪でグロテスクな
物であった。その姿の奇怪さは被験者達が一様にパニックを起こし、そのショックで治療を受け続けている事で
理解できよう。
では何故、人はその姿を見る事が無く幻想の人間像を追い続けているのであろうか?
「混乱」の後、確かに能力者は増える事となった。だが人は、元来その能力を持っているのではないのか?そう、「混乱」
の際に力が増幅しただけで誰もがその力を持っていたのだとすると今回の実験の原因が見えてくるのだ。
それは、視覚をだます為の一種の念。
自分の外見はこうであると対峙する相手に対し念を送り暗示をかけているのではないか?
そうして、外見をカモフラージュした上で周囲の空間をもゆがませて触覚をもだますだけの力を持っていたら?
そこに出来上がるのは本来の姿とまるっきり違う生物。
そうして人は自分の姿をゆがませてきたのだとすると、今回の実験の失敗が見えてくる。
それは「妨害装置」。
超能力を妨害するその装置は、本来「読心」を妨害する為の物である。だがそれは同時に「他者による精神、意識への
介入を防ぐ」と言う事にもなる。
よって、人から心を読まれる事もないが人から送られた念を受ける事も出来ない状態になったのでは無いのか?
それが念によって作られてきた人間という虚構を、本来の姿に戻してしまったのではないか?
何もかもが仮説に過ぎないが、この仮説が正しければ決してこの実験に成功は望めない事となる。
なぜなら装置が、その目的の機能を果たす限り常に視覚異常はついて回る。視覚異常を取り除くならば装置は目的の
機能を果たす事はないのだ。
博士達には酷な仮説であろうけれども……